とあるおばあちゃんとの話――はじまりのおばあちゃんが教えてくれた保険外支援のかたち

僕がこの仕事を続けるうえで、どうしても忘れられない人がいる。
個人事業主として介護タクシーと自費高齢者支援を始めたとき、記念すべき一番最初の利用者になってくれたおばあちゃんだ。
記事タイトルではそのおばあちゃんを勝手にはじまりのおばあちゃんと呼んでみた。

おばあちゃんは一人暮らしで、人と話すことが大好きだった。
特に若い男性との会話には目を輝かせるような、茶目っ気のある人だった。ただ、少し…というかかなり―気難しい一面もあった。

気を許した相手とは穏やかに笑い合えるのに、デイサービスで初めて顔を合わせた人には攻撃的な言葉をぶつけてしまう。トラブルが絶えず、周囲を困らせることも多かった。

しかし不思議なもので、そういう人ほど、心を開いてくれたときの距離は近い。
僕は幸か不幸か、そのおばあちゃんに気に入ってもらえた。訪問リハビリの時代から開業初期、そして今に至るまで、関わりが続いている人の話をしたい。

目次

支援に入った経緯――「私があなたの一番の客になるけえね」

おばあちゃんとの出会いは、僕が訪問リハビリに配属された頃にさかのぼる。週に一度、玄関の引き戸を開けると、待ちかねたように話が始まる。リハビリの合間も、終わったあとも、話題が尽きなかった。

昔の暮らしのこと、家族のこと、近所の噂話。気難しいと聞いていた人が、僕の前ではよく笑った。人は誰でも、自分の話を面白がって聞いてくれる相手を待っているのだと、あの居間で教わった気がする。

やがて僕が独立を考え始めた頃、その話をおばあちゃんにもした。すると彼女は迷いもなくこう言った。「私があなたの一番の客になるけえね」。冗談まじりの宣言だったけれど、その言葉は僕の胸に深く残った。

開業準備の不安な日々のなかで、この一言に何度も支えられた。

そして開業の日、おばあちゃんは約束通り、本当に一番最初のお客さんになってくれた。仕事の始まりに、こんな出会いをもらえたことは、今思えばすごく幸せなことだ。

受診の付き添いと外出同行

おばあちゃんとの基本的な支援内容は、大きく分けてふたつ。

ひとつは病院受診の送迎と付き添い。自宅から病院までの送迎はもちろん、受付から診察、会計、薬局まで、一連の流れにずっと同行する。

もうひとつは外出の同行で、おばあちゃんの大好きな外食に定期的に一緒に出かけることだった。時々いきつけのカラオケ喫茶にも行き常連客の前で変な汗をかきながら氷川きよしのズンドコ節や池田輝郎の瀬戸内ブルースを歌ったのをよく覚えている。

離れて暮らす娘さんとも連絡を取り合い、支援のたびに写真つきで様子を報告した。コロナ禍で長く帰省できずにいた娘さんにとって、その報告は母の元気を確かめる貴重な窓になっていたと思う。

「母は外でごはんを食べるのが大好きなんです。定期的に一緒に行ってやってください」。

娘さんからそう頼まれたことで、外食の同行はおばあちゃんの暮らしを支える正式な柱のひとつになった。

 

楽しいお出かけと嫌いな病院

一番最初の仕事は、おばあちゃんと昼食を食べに行くことだった。行き先は、彼女がよく通っていたレストラン。肉が嫌いなおばあちゃんが、唯一「ここのは美味しい」と認めるハンバーグを出す店だ。席に着いたおばあちゃんは、「久しぶりに人と外でご飯を食べた」と、しみじみ嬉しそうに話した。普段は小食なのに、その日はハンバーグ定食をペロリと完食した。テーブル越しに美味しかったと笑う顔が最高だった。

写真に収めて、その日の夕方、娘さんに報告を送った。返ってきた言葉は「こんなに嬉しそうな母の顔を見たのは久しぶりです」。画面越しにでも、娘さんの安堵が伝わってくるようだった。

受診の付き添いも、ただの送迎では終わらなかった。もともとおばあちゃんは病院が大嫌いで、受診日が近づくと不安になり、いろいろな人に電話をかけてしまうことがあったという。それが僕と行くようになってから変わったみたいだ。
娘さんは「病院受診が大嫌いな母が、木村さんと行くようになってから受診の日を心待ちにしている。不安の電話もなくなって、私も安心です」と言ってくれた。
おばあちゃん本人は、「病院は嫌いだけど、あなたと出かけられるからチャラじゃね」といつも笑っていた。受診の帰りにそのままランチに寄るのが、ふたりの定番コースになった。

そして、決められたサービスの外側にある小さな困りごとにも、できる限り応じた。「テレビの調子が悪い」「時計が動かない」といった電話がかかってくると、訪問のついでに様子を見る。たいていは配線の緩みや電池切れで、直せばおばあちゃんは大げさなほど喜んでくれた。一人暮らしの家では、テレビ一台の不調が世界との断絶になる。そういう細かなことで頼ってもらえるのが、僕は本当に嬉しかった。頼られるということは、信頼されているということだ。何も用事がない日はコーヒーを買ってお邪魔したこともあった。コンビニのコーヒーを飲んだことがないおばあちゃんは「これは高級なコーヒーじゃね。私にはわかる」と言っていた。

制度の枠に収まらないその隙間にこそ、この仕事の本質があるように思えた。

少しずつ進行する認知症

もともと軽度の認知症があったおばあちゃんは、徐々に症状が進行し、一人での自宅生活が難しくなっていった。娘さんやケアマネさんと何度も話し合いを重ね、悩んだ末に、グループホームへの入所が決まった。

環境の変化は、おばあちゃんをさらに混乱させた。とにかく家に帰りたがり、他の入居者への攻撃的な発言も出て、精神科の受診を勧められることになった。受診の日、暴れるおばあちゃんに、娘さんと僕も同行した。あの日の車内の空気を、僕は今も鮮明に覚えている。そのまま、おばあちゃんはその日のうちに入院となり、定期的な関わりはここでいったん終わった。

入院中、一度だけ面会に行った。薬の影響でおばあちゃんの表情は虚ろだったが、それでもギリギリ、僕のことを覚えていてくれた。病院の方に「ご関係は?」と聞かれるたび、僕は必ず「彼氏です」とだけ答えた。若い男と話すのが大好きだったおばあちゃんへの、僕なりの精一杯の冗談であり、敬意だった。数ヶ月後、おばあちゃんは療養型の病院へ転院し、そこからはいわゆる寝たきりの生活になった。今でも娘さんとは連絡を取り、様子を聞いたり、お見舞いに行ったりしている。関係は、形を変えて続いている。

介護保険でできること・できないこと

このおばあちゃんとの関わりを振り返ると、介護保険という制度の「できること」と「できないこと」の輪郭がはっきり見えてくる。

介護保険の訪問介護には、通院のための乗降介助や身体介護といったメニューがある。しかし、病院に着いてからの院内の付き添いや診察中の待機は、原則として院内スタッフの対応範囲とされ、保険では認められないことが多い。おばあちゃんのように、受診そのものへの不安が強く、そばに誰かがいることで初めて安心して病院に通える人にとって、この「原則」は大きな壁になる。

外食の同行はさらに明確だ。レストランで一緒にごはんを食べる、好きな店に出かける――こうした楽しみのための外出は、日常生活に必要不可欠な行為とはみなされず、介護保険の対象にはならない。テレビや時計の不調を見るといった対応も同じで、生活援助は掃除や調理など日常生活の援助に限られ、「日常の家事を超える行為」は範囲外とされている。

制度が悪いという話ではない。介護保険は限られた財源で命と暮らしの土台を守る仕組みであり、優先順位があるのは当然だ。しかし、人の暮らしは土台だけでは成り立たない。ハンバーグを食べに行く昼下がりや、「彼氏です」と笑い合える関係は、制度の外側にしか存在しえないように思う。だからこそ、保険外の自費サービスには意味がある。制度の隙間を埋めるのではなく、制度が最初から対象としていない「その人らしい時間」を支える仕事なのだと、おばあちゃんが教えてくれた。

まとめ 正解のなかった選択と、それでも続く関係

家での生活が難しいかもしれないと相談を受けたあのとき、もっと違う提案ができていたら、おばあちゃんは今のような状態にならなかったのだろうか。入院してから1年以上経ったが、今でもふと考えることがある。

あの提案は、あの決断は、本当に正しかったのか。
答えはわからないし、たぶん正解はなかったようにも思う。
それでも一緒に過ごした時間の確かさだけは、誰にも否定できないのではないかと考えたりしている。

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